【三代目はんこ職人:荒見 英樹(あらみ ひでき)】

1962年 東京生まれ

1992年 新たなスタート

29歳の時、家業である(有)東堂印章に入社しました。
当初、職人になることを意識しないまま、まずは、印章、ゴム印、名刺とオーダー品の注文の受け方をちゃんとは教えてはくれませんでしたので父、母の接客の仕方を見て覚える日々です。

1993年 父からの課題

ある日、父から柘小判に「王」と彫ってみろと課題を与えられました。
朱墨を塗った印面に「王」と逆様気味に墨で書き、大野木式という小型ドリルのような機械の使い方を簡単に教わり荒彫り開始。 あっ失敗、あっ失敗と残すところまで、削れてしまい、悲惨なでき。
そのあと、一応仕上げ彫りで彫り切れていないところを印刀でさらい、半差しと言われる仕上げ刀で文字を整えるように言われます。 更に、古印体では、整え過ぎては面白みがなくなりダメなんだと教わりました。
しかし、荒彫り段階で、完全に失敗していますし、さらいも完全には出来ておらず、仕上げどうこうの問題ではありませんでした。
この「王」らしき印鑑、とっておけばよかったと今にして思います。
肉体労働以外、どんなことでも、最初から人より上手く、すぐに標準以上に上達できる自信があったのですが、その自信が見事に砕かれました。

それから、3ヶ月後から二代目の父のもと、はんこ職人になるための修業が始まります。
とにかく、印稿を書き、それをチェックしてもらい、ダメ出しされ、修正して書きを続けました。
古印体で山田と下に「田」の付く名前の印稿を書き、見せたところ、「田」が大きいと言われました。定規をあてて、「同じ大きさです」と反論したところ、「大きく見えるからダメなんだ」と言われました。
実際の大きさではなく、どのように見えるかが、重要であることがやっとわかりました。

行書では右肩上がりにしすぎると枠のあるはんこでは曲がって見えてしまうので、書く行書とはんこの行書は違うことを学びました。 曲がって見えることがダメなことも。

それにしても印稿を見せて父の言う通りに直すと確かにバランス良くなるのです。
ある時に「どうして、ちょっと見ただけで、どこを直せば良いか、わかるのですか?」と聞いてみました。
答えはありませんでした。
今、他人が作った印鑑を見ると、ここをこうすれば、もっとよくなりますよと直ぐにわかります。 熟練すれば、自然とわかるものと、今にして知りました。

仕事に対してあれこれ言わない二代目でしたが、ある時にお前は真似るのが上手いから大丈夫だと言ってくれました。
普段無口な人が誉めてくれるとその言葉は、ずっと残るものですね。

そしていつからか印稿書きから荒彫りまでを三代目が担当し、二代目が仕上げ彫りをするという流れができました。 二人の作業で当時は4日間ではんこが出来上がりました。
しかし、父が年齢から目が悪くなります。 老眼鏡を二重にかけてみたり、メガネなしでも感覚で彫れると言ってみたり、見えなければ、繊細には彫れません。

2003年 世代交代

ある日、父の仕上げたはんこを見て、できが悪いと思いました。
印稿のイメージと違い、仕上げ自体が雑に見えたのです。

三「これ、もう一回最初から作り直そうよ」と言いました。
父「これで、お客さんには通るから」
三「それは間違い。お客さんの通る、通らないは問題ではないから。もっとよく彫れるのにしないのが問題だから。もう一度彫ろうよ」と父を叱りながら言いました。
すると父は「俺に仕事を頼むな」と帰ってしまいました。
慌てて、自分で仕上げ彫りまですると、やはり先ほどよりも良いものができ、満足です。

このことがあってから、父が彫ったものでこれはちょっとと思うものがあると、できるだけ早く帰し、自分で作り直すようにしました。

2006年 父が引退

三代目一人での印刻作業になります。そして自分の彫り方が標準的でないことに気付きました。 標準的でないというのは、彫る速度が遅いのです。

初代の祖父は小学生の時、左手を火傷してしまい、左手が開かなくなってしまったのですが、小学生の時からはんこ屋に丁稚奉公に出され、とても上手なはんこ職人になりました。
ですが、左手が不自由な人の独特な彫り方です。

それを見て、父が覚え、その父を見て、三代目が覚えましたので、標準的ではないのです。
はんこ屋の先輩に標準的な彫り方を教わりにいき、その彫り方で彫ってみると全然、自分が彫ったものとは思えませんでした。独特感が消えてしまったのです。
それで、もう彫る速度が遅くてもいいやと開き直りました。

一人になって大きく変わったのは、自由にお客様とおしゃべりできるようになったことです。
本来、口から先に生まれてきたと小さい頃から言われていた、筋金入りのおしゃべりなのですが、父が彫っている横では、お客さまと自由にしゃべることもできなかったのです。
次第に、お客さまと仲良くなっていきます。

ホームページを作成している中で、印相体を色々なバリエーションで彫れることに気付きました。
ブログを書くことで、自分がはんこに関する知識をとても持っていることに気付きました。

2007年 転機の訪れ

まだまだ普通のはんこ屋だった頃、ちょっとがんばってみたお客様が、

「はんこ屋さんにとって、はんこを彫る技術も大切でしょうけど、正しい心こそ大切。ここは正しい心を持っているので、絶対はやるから」

と言って下さいました。宝物のような言葉です。
そしてモチーフ入り印鑑を思いつき、友人や仲良しのお客様だけに彫り始めました。

大きく変わったのは、テレビ朝日さんの6月の日曜日午後3時30分から番組の中で、渋谷に残っている昭和ということで志村けんさんが取材に来てくれましたことででした。
志村さんの「村」の点をバカ殿さまにしたはんこをプレゼントすると、「このデザインは君がするのかね」「そうです」と一番言って欲しいことを言って下さいました。
おしゃべりだけど腕のある職人とまるで、当店のプロモーションビデオのような内容の放送がありました。
テレビにモチーフ入り印鑑が映ってしまいましたので、一般の人からもモチーフ入り印鑑の注文を受け始めました。

毎日1~2人お客さまが多く、手が痛くなり、腱鞘炎になりかけました。
はんこ屋の先輩には、はんこ屋で腱鞘炎になった人 聞いたことないよと言われました。
そんな中またお客さまが「手の仕事をする人に腱鞘炎はつきもの、痛さを堪えてたくさん彫り続けるか、仕事を絞って納得のいくものを作り続けるか、ストレスの少ない方を選べばいいのよ」と言われました。
ストレスのない方を選ぶのは強い人間しかできないんだよと思いつつも、急ぐ人の注文を受けるのを止めました。

2008年 漫画に登場

集英社さんの雑誌「you」に不定期連載されていた、鴨居まさね先生の「君の天井は僕の床」第3話に、設定は違うものの、東堂印章 荒見と実名で登場。
これをきっかけに全国の鴨居まさね先生のファンがモチーフ入り印鑑を作りに来て下さることになりました。
なお「君の天井は僕に床」の単行本は1~3巻発売中で、準レギュラーとして、どの巻にもはんこ屋が登場します。

2010年 OCNアートに掲載

ホームページで1ヶ月にわたり、はんこ屋を特集して頂きました。
自分に表現したい何かがあるアーチストではなく、あくまでのお客様の望むものを、望む以上の形で作ろうとする職人なんだとあらためて思いました。

2011年 ラジオに登場

元旦午後6時 東京FMで、三代目のインタビューが30分間流れました。
震災前の3月、初めてご注文頂いているはんこが60本を越えました。
そして、震災、遠方から来るお客さまがなくなり、通常の30本にいったん戻りました。
東京FM「フロンティアーズ~明日への挑戦」

2013年 注文数記録更新

大きなトピックなしに、2月にご注文頂いているはんこの注文が70本を越えました。
普通に1ヶ月待ちとなってしまいました。
特に大きな理由はなく、しっかりした印鑑を作るお店がいかにないかを物語っています。
この忙しい今だからこそ、世界に向けて印鑑の販売を開始します。
そして印鑑を使う文化のないところで、はんこが売れはじめたら、はんこ職人の将来の不安が消えます。
才能のある人が10年はかかるはんこ職人の修業を始めても大丈夫、食べていけます。

そう、お客様からこんなことも教わりました。

「今は過去の結果に過ぎない。今していることが将来結果として現れてきます。今の努力こそ大切」

2017年 YouTube動画に登場

外国人向けに動画でTOKYOを紹介しているLIVE TOKYOさんの取材を受けました。
おしゃべりなはんこ屋が2時間近く日本語で話した内容が2分間にまとまっています。
YouTube リンク先
https://www.youtube.com/watch?v=RE_Cptd1YTQ

2019年 開き始めた世界への扉

2018年、日本への外国人旅行者4組の方々から、手彫りの印鑑のご注文を受けました。
それは、カリグラフィーの仕事をされているスイス人男性が自分の作品に押す落款印でしたり、フランス人女性が手作りカードに押すモチーフ入り印鑑でしたり、アーチスト系の方々からのご注文でした。
2017年にそのような旅行者からの本格的な手彫りのはんこのご注文は0でしたから、これからは増える一方です。
そして2019年は、9月までに8組の海外旅行者さんからの手彫り印鑑のご注文がありました。

印象的な出来事としては、ご来店されたニューヨークの女性詩人さんが、世界各国の都市に1ヶ月以上滞在して詩を書き、その都市のローカルアーチストさんとコラボしてポストカードを作り、世界に送るプロジェクトをしていました。
なぜかTokyoでは、コラボ相手としてはんこ屋が選ばれ、その人のためにTokyoモチーフの大きなはんこを作りました。そして、そのポストカードを見た方が、アメリカのワシントン州からはんこを作りに来てくださったのです。

また、2019年象牙とはんこというテーマですが、ワシントンポストさんの取材を受けました。
まさか自分のところに、ワシントンポストさんが取材に来るとは夢にも思っていませんでした。
続けてロイター通信さんが取材に現れ、世界にはんこ屋への取材動画が配信されました。

世界にはたくさんのアーチストさんがいて、その人たちが自分の作品の一部となるはんこ、落款印の存在に気付き始めた感があります。
このまま順調に世界展開が進んでいくと、はんこ屋が世界に影響を与える100人に選ばれる日が来るかも知れません。(笑)